なんだかおかしい。計算が合わないのだ。

 わずか1週間ぶりのニューヨーク。何が変わったというのだろうか。

 見た目は何ら変わっていない。自動券売機も、カードもそのままだ。ところが、残額がいつも以上に減っていく。おつりなしできっちり使い終えられるはずが、余りが出る。

 なんでだろう?(日本ではやっているらしいので使ってみました)

 答えは簡単だった。地下鉄の料金が値上がりしたのだ。1ドル50セントから2ドルへ(ニューヨークの地下鉄は同一料金。一駅乗っても、終点まで行っても運賃は同じ)。それにしても、一気に50セントとは、値上がりしすぎではないだろうか。運賃の高さではおそらく世界でも屈指だと思われるJRでさえ、値上がりするのは10円、20円(元が高いからというだけかもしれないが)。それが50セント(1ドル120円としても60円)とは、さすがにニューヨークだ。

 さすがに、というのもニューヨークは何でも物価が高いからだ。ホテルの料金しかり、駐車場の料金しかり。さらにはスターバックスまで高い! ほぼ全メニュー(エスプレッソだけは同じだったような…不確かです)他州(市?)より50セント高いのだ。もちろん中身はまったく同じ。東京だってこんなことはない。「ニューヨーク」というだけで何でも高くなってしまう。

 そういえば、メジャーリーグの年俸総額1位と2位は、ともにニューヨークを本拠地にするヤンキースとメッツ。

 ラウル・モンデシー(ヤンキース)が13ミリオンダラー(1ドル120円として15億6千万円)、スターリング・ヒッチコック(ヤンキース)が6ミリオンダラー(同7億2千万円)モー・ボーン(メッツ)が約17ミリオンダラー(同20億4千万円)、ジェロミー・バーニッツ(メッツ)が約12ミリオンダラー(同14億4千万円)など明らかに不適正価格の高年俸をもらっている選手が多いが、年俸にも「ニューヨーク手当」がついているのだろうか。
 ところで、「ニューヨーク」と「ねあがり」で何か思い出しませんか?

 そう、松井秀喜です。「ニューヨーク」ヤンキースと「根上(ねあがり)」町出身。やっぱり、ゴジラはニューヨークに来るべくして来たってことでしょうか。ちなみに松井の今季年俸は6ミリオンダラーで、何とヒッチコックと同じ。松井も甘く見られたもんですねぇ…。

 もう値上がりはたくさんですが、ゴジラ株だけは値上がりするよう期待してます。

覚えてまっせ!

2003年4月1日
「コンニチハ!」

「二」にイントネーションがある外国人独特の発音であいさつされたのは2年前。あいさつ、と言っても別に知り合いではない。日本人を見たら誰にでもこう声をかけているのだろう。それでも、ただのファンである僕に気さくに声をかけてくれるのはうれしい。

 声の主はホセ・マシアス。内外野どこでも守る、パナマ出身の陽気な黒人ユーティリティーマンだ。僕は貯めに貯めていた会社の“夏休み”を使って、タイガースのキャンプ地・レイクランドを訪れていた。

 せっかく向こうから話しかけてくれたのだから、と英語で質問してみたが僕の発音が悪いのか、マシアスの英語がまだ十分でないのか、あまり通じなかった。だが、一番の疑問点である「なぜ日本語を知っているのか?」という質問は身振り手振りを交えてなんとか理解できた。

 最初は野茂英雄や木田優夫が在籍していたためかと思ったが、何と! その前年、阪神の秋季キャンプに参加したとのこと。黒潮リーグで不足している実戦経験を積もうということだったらしい。詳細はわからないが、彼自身、日本をとても気に入ったらしく「オオサカ」、「ハンシン」など、ところどころで単語が出てきた。笑顔で握手して別れた思い出がある。

 あれから2年。マシアスと再会することができた。僕はただのファンから取材者に、彼はメジャー経験わずか78試合(当時)のエレベーター選手から毎年120試合以上(01年タイガースで137試合、02年タイガースとエクスポズで123試合)出場する立派なメジャー選手に“成長”していた。

 クラブハウスでマシアスを見つけ、さっそく2年前の思い出を話してみる。すると、またまた驚くべき答えが返ってきた。

「I remember」

 大真面目な顔をしてマシアスはうなずいていたが、2年前にわずか数分間立ち話をしたファンを覚えているはずがない。「そんなわけないやろっ!」と関西弁で間髪入れずツッコミを入れておいた(マシアスは理解しておらず、ニヤニヤしていただけだったが)。

 今度は僕の英語も通じ、マシアスの英語も理解でき、ちゃんとした会話が成立した。

「Nice to talk to you」

 と今度も固い握手をして別れたが、今度は僕自身の“売り込み”もしておいた。ローマ字で名前を書いた名刺を渡し、何度も僕の名前の発音を繰り返して「Please remember me」と念を押しておいたのだ。

 今度はいつ会えるかわからない。たとえすぐに会えたとしても、覚えてくれてはいないだろう。長時間話したわけではないし、外国人に日本人の名前は覚えにくいからだ。

「Do you remember me?」

 今度会ったら、僕はすぐさまこの質問をするつもりだ。覚えていようがいまいが、彼の答えはわかっているのだけれど。

「I remember」

 うーん、こう言われたらウソでも嫌な気はしないわ。

 僕も使おっーと。

注意!!

2003年3月26日
3月半ばの日記を少しづつ更新していますので、「最新」の日記が更新されていなくても見るのやめないでください!m( )m

アメリカ版パンチョ

2003年3月18日
Today is St. Patrick’s Day. Our host family took place celebration party. 11 people ,include me, gathered our house. 10 minutes past after the party started,the unexpected happened.

The leading character was an old man. He looked 55 and more. His girlfriend was Taiwanese. Once he started to talk, I was very surprised.

When I met him, I wore the cloth that showed the Pittsburgh Pirates "P". As soon as he looked my cloth, he started to talk about 1960 World Series. That sereies was the last one the Pirates played.

He said,"The Pirates scored 27,the Yankees scored 55. But the Pirates won the series."
"Really?" I was wondering. After that, he wrote down a memo and passed me.

The memo said,"game1 Pit 6-4 NY, game2 NY 16-3 Pit, game3 NY 10-0 Pit, game4 Pit 3-2 NY, game5 Pit 5-2 NY, game6 NY 12-10 Pit, game 7 Pit 10-9 NY" I checked records book, it was correct. I like the Hanshin Tigers. But I don’t remember 1985 Nippon Sereie score. He isn’t a Pirates fan. It’s unbelivable!!

He talked about another baseball trivia besides this. I stayed in America for almost half an year. But I have never met the person like him.

St.Patrick’s Day became really really impressed day for me. Because I met "American Pancho".

お待たせしました!

2003年3月12日
未練を残しつつフロリダから帰ってまいりました。とりあえず、3月2日の日記を更新しました。
これから徐々にメジャーキャンプ体験記を更新していきますのでお楽しみに。
 試合が終わり、見知らぬ野球ファン(アメリカ人)と立ち話をしていたときのことです。

「彼は昔、東京ジャイアンツで松井とチームメイトだったんだ。高校のときはすごい投手で、日本一にもなってる」

「何? それは本当か? もう一度教えてくれ。どの人だ?」

 僕が指差した人物を見て、彼が不思議そうな顔をしたのも無理はないでしょう。赤いポロシャツに短パン姿、おまけに日本人とは思えない金髪なのですから。とてもじゃないけど(失礼!)取材で来ているようには見えません。そのままビーチに行っても全く違和感ないぐらいです。

 それでもその野球ファンは、「松井とチームメイトだった」という言葉がひっかかるらしく、あわただしく車のトランクを開けて何やら探し始めました。しばらくして、「残念だ。オレはいつも車にバットを積んでるのに。今日に限って置いてきたよ」。バットは見つからなかったものの、手にはしっかりメモ張とマジックが。

「サインをもらってくるから、彼の名前を教えてくれ」

「水野だよ、ミ・ズ・ノ」

「何? 彼はバットを作ってるのか?」

「いや、いや、そのミズノじゃないって!(笑) 発音は一緒だけどさ」

「ミ・ズ・ノさん、ミズノさん」と僕の前で発音の練習をした後、彼は本当にサインをもらいに行ってしまいました。

 水野とはもちろん「阿波の金太郎」こと水野雄仁。高校2年次にはレフトで畠山準(元横浜)とともに全国制覇。翌春はエースとして夏春連覇を成し遂げたあの水野です。彼はちょうど僕が野球を始めた頃の甲子園のスターで、初めて甲子園に足を運んだのも、水野の池田高校が見たかったからでした。生水野を見て以来、友達と遊びの野球をするときにも、Tシャツの背中に「1」と書き込んで真似をしたものです。巨人入団後、友達の家に水野のサイン色紙が飾ってあるのを見て、うらやましくてしかたがなかった思い出もあります。第60回のセンバツに初出場した小松島西(徳島)のエース・高井投手が、水野とそっくりなフォームだったのを見て(高井投手も水野ファンで真似したそうです)、高井ファンになってしまったこともあります。それぐらい僕にとってはあこがれであり、特別な存在でした。

 数分後、例の野球ファンがうれしそうな笑みを浮かべて戻ってきました。「もらってきたよ」そう言って見せてくれたサインはこう書かれていました。

「TOKYO GIANTS KATSUHITO MIZUNO」

 大文字のブロック体でした。サインをもらった本人は満足そうでしたが、このサインを見て、僕は違和感を感じずにはいられませんでした。

「TOKYO GIANTSって、もうGIANTSの選手ちゃうやん!」(←イワキ、心の叫び)

 せめて「『元』GIANTS、英語ならFORMER GIANTS」ならねぇ。念のため確認しましたが、野球ファン氏は「TOKYO GIANTS」と書くようリクエストはしていませんでした。

 やっぱり水野も同じだったのか、とちょっとがっかりしました。「野球選手水野」ではなくて「巨人の水野」だったのか、と。一度でも巨人のユニホームに袖を通すと「元巨人」と名乗る人が多いように、やっぱり水野も「ジャイアンツ愛」、巨人は特別なんだなぁ。ここがアメリカで、水野が有名ではないということを差し引いても、「TOKYO GIANTS」はやめてほしかったです。水野には「元巨人」がなくても十分「水野ブランド」があるんですから(僕の中では、ですけど)。

 ちなみに、メジャーの選手にサインを頼んでも「Best Wishes」などメッセージを添えてくれることはあっても、球団名を書く選手はまずいません。日本のように色紙が一般的でないこともありますが、たとえスペースがたくさんある紙を渡しても、そこに書かれるのは名前だけ。余白たっぷりのまま返ってきます。決して「New York Yankees」とデカデカと書いたりしません。手のひらサイズのメモ帳なら何をかいわんや、です。

「東京ジャイアンツ」が特別なのはわかります。「元巨人」というだけでご飯が食べられることも知っています。それでも……。

「トーキョージャイアンツ」

そんなにいい響きですか?

 縁ってこういうもんなのかな? そう思わざるをえませんでした。会うはずのない人に、会うはずのない場所で、会うはずのないときに会ったんですから。

 練習開始前、ドジャータウンを“散策”しているときのこと。遠くから3人の選手がランニングしているのが見えます。なんだか日本人っぽい。どこかの大学がキャンプでもしてるのか(←んなわけないやろ!)と思いながら歩いていると、見覚えのある顔が! 「目を丸くする」とはまさにこういうときのためにある言葉なのだと実感しました。驚いてお互い一瞬止まりましたね、マジで。

「こ、こんにちは」

 高校時代と変わらぬあどけない笑顔を浮かべてあいさつしてくれたのは、近鉄の近藤一樹君。日大三高が優勝後、僕はほとんど「三高生」でした。そのうち何日かは「三高野球部員」にもしてもらいました。プロ選手に対して「君」づけは失礼なのなは十分承知してはいますが、高校時代のグランドを離れた素顔を知っています。まだまだ「近藤君」というイメージがぬけないもので…。

「何でここにいるの?」

「留学みたいな感じで近鉄の3人で来たんです」

「近鉄の3人」とは近藤君と同期の朝井秀樹君、谷口悦司君(←今回は掛布さん風に「君」づけでいかせてもらいます)。日本にいればスポーツ紙の片隅で3人がドジャースのキャンプに参加するニュースを見つけられると思いますが、残念ながら僕にはその情報がありません。聞けばベロビーチ入りしたのはきのうの夜だそうで、まさにドンピシャのタイミングだったわけです。当初からドジャースキャンプはこの日1日だけの予定だったので、尚更「縁」を感じずにはいられませんでした。

 初日ということで、彼らは時差ぼけ解消の調整日。そのおかげで、彼らと話をする時間がたっぷりあったのも幸運でした。中でも谷口君の話にはいくつも興味深い内容が含まれていました(ここには書けない話ですみません)。彼はプロ1年目の昨年に手術。1、2軍ともに登板する機会がありませんでした。それだけに「今年こそ」という気持ちが強いのでしょう。こんなことを言っていました。

「アメリカ行きを聞いたとき、最初は何でオレやねん! って思いましたよ」

 キャンプ終盤、大阪ガスとの練習試合で5回をほぼ完璧な内容で零封。左腕不足に泣かされる首脳陣に「左腕・谷口ここにあり」をアピールしただけに、開幕一軍が消えたショックがあったようです。

「でも、たった3人だよ。来るだけでも相当金かかるわけだし、期待されている証拠だと思うけど」

「そうですよね。いい経験ですよね。頑張れば試合にも出れるらしいんですよ。去年近沢(昌志)が来て、2イニング守ったらしいです。僕もそれを目指します。今年はやらなアカンから頑張りますよ。見ててください!」

 言葉通り、他の2人が時差ボケで“爆睡”中も誰もいないグランドでひとり黙々とランニング、ストレッチ、壁に向かっての投球など体を動かしていました。

 自分自身の話から技術的な話、高校時代の話、その他の話…。関西人らしいテンポのよさ、ときおりギャグを交える谷口君とのトークは時間を忘れさせる楽しいものでした。とりあえずは大阪での再会を約束しましたが、ぜひ一軍に定着して東京遠征で再会したいものです。

 最後に、朝井君のことも書いておきたいと思います。今回が初対面でしたが、彼は僕がスポーツライターだとわかった瞬間、

「あ、朝井です。よろしくお願いします」

と、どもりながら自分からあいさつしてくれました。わかりやすい!(笑)でもその純朴さが彼の人間性を表しているような気がします。

 高校時代あれだけ騒がれ(3年夏前の予選展望号は2つの雑誌で表紙)、しかもドラフト1巡目での入団。暴力事件当時のPL出身ということもあり、僕の中には違ったイメージがありましたが、いいほうに裏切られました。少なくとも、性格や人間性が成長を妨げるようなことはないでしょう。

 2人部屋にもう1つベッドを入れた“急造”3人部屋で生活している彼ら。初日から「メシが合わない」とこぼしていましたが、そんな生活もきっといい経験になるはず(←同じことに悩む僕自身、自分で自分にそういい聞かせてます)。フロリダで真っ黒に日焼けしてたくましくなった彼らに再会するのが今から楽しみです。がんばれ、同期3人衆!!

どっちが悪い?

2003年3月4日
 嫌な予感はしていた。これまでのインタビュー記事を読む限り、彼が取材を好きではないことが予測できたからだ。ぶっきらぼうな答えが目立つ。それが性格なのかもしれないが、正直、取材する側からするとやりにくい。

 モントリオール・エクスポズ、大家友和。昨季13勝を挙げ、一気にブレイクした27歳。76年3月18日生まれで学年は僕と同じだ。この日は相手が飛車角落ちのアトランタ・ブレーブス(主力で出場したのはタイガースから移籍した昨年のオールスター選手、ロバート・フィックだけ)だったこともあり、スイスイと三回を1安打無失点に封じた。三振2つも奪ったが、僕にはそれほどよい出来には感じられなかった。抑えるというより、左打者に対して変化球を試しているように見えた。

 降板後、外野を走ってクールダウン。試合が五回裏を迎えた頃、エクスポズの広報が「大家の準備ができました」と記者席に呼びに来る。日本人記者は僕を含め、10人ほど。松井が出場しない日だったこともあって、通常はヤンキースを担当している記者も「大家登板」の知らせを聞き、駆けつけていた。

A記者「お疲れ様でした。今日はいい結果だったと思いますが、よかったところはどのあたりでしょうか」
大家「別によくなかったです。ま、ストライクが入ったからよかったんじゃないですか」

僕「今日は左打者のインコースに変化球を集めていたように見えたんですが、どのような狙いがあったのでしょうか」
大家「別に。特に左(打者)に変化球を投げたつもりはないです」

 あらら。いきなり外してしまった。でも、待てよ。左打者3人を三者凡退に抑えた二回の投球は明らかに左打者の内角を意識した攻めだったはず。もう一度、スコアシートを見直してみる。

 二回、先頭のフィックへは初球、2球目ともに外角直球で中飛。二人目、ダレン・ブラッグには初球内角直球でファール、2球目は内角スライダーでボール、3球目の内角直球で二飛。三人目、ウィルソン・ベテミットには初球内角へスライダーでストライク、2、3球目と内角低めへカーブを続け、2球ともボール。4球目、外角直球でファール。5球目、内角直球でファール。そして最後は内角スライダーで遊ゴロ。この回11球のうち7球が内角、うち4球が変化球だ。少なくとも、意識して内角を攻めていたことは間違っていないはず。しかし大家は乗ってこなかった。

僕「打ち取りましたが逆球が一球あったと思うんですが、それについては」
大家「いえ、あれは逆球じゃなくて狙い通りです」

 ありゃりゃ。またもやってしまった。でも、待てよ。確かに打ち取った後、捕手のマイケル・バレットが立ち上がって大家に「違うぞ〜」というしぐさをしていた。うーん、見間違いだったか。

記者B「次の登板は中4日で、と考えていいでしょうか」
大家「僕は投手コーチじゃないんで、コーチに聞いてください」

 昨季のチーム勝ち頭、今季はほぼ先発が確約されての調整なのだから、次の登板日は本人もわかっているはず。でも、この答え。

 この後、重たーい雰囲気になり、誰も質問せず。エクスポズの広報が、「まだ30秒あります。もう1つ質問を」と声をかける。

記者C「次の登板に向け、課題などはありますか」
大家「うーん、特にないですけど、今日まだ投げてないボールがあるんで、それは投げなきゃいけないと思います」
僕「投げていないボールとは、具体的に何ですか」
大家「僕のいつも投げてるボールです」
僕「はっ!? 具体的に球種とか…」
大家「だから、僕のいつも投げてるボールです」(なんやコイツ、という顔で僕を見ながら)
会見終了。

 大家からすると、「お前、見とって球種もわからんのかいっ」てな気持ちだったのだろう。それは僕も理解できる。高校野球でありがち(いやいや、先日、天下の松井秀喜にもこの質問をしているツワモノがいたっけ)な「打ったボールは何ですか」と同レベルの質問だからだ。しかし、この日の大家は僕のメモを見る限りストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップ、フォーク(かは不明だが落ちる球)と5種類を投じている。まだ他に球種があるのか。

 STATS社が誇る(発売はSportingNews社)『SCOUTING NOTEBOOK』で調べてみたが先の5種類以外の球は見当たらない。それどころか、フォークも本当に持っているのかわからなかった。5種類以外に当たるとしたら「ストレートがプレート付近で沈む」という球だろうか。だが、大家はきっぱり「僕がいつも投げてるボールです」と言った。

 結局、それが何の球なのかはわからなかった。それでも、僕は大家の言わんとしていることはわかったつもりだ。

「1度や2度観に来るんじゃなくて、継続して見続けてくださいよ。僕の持ち味は、続けて観ていないとわかりませんよ」

 僕も含めてだが、キャンプ中で車で簡単に移動可能ということもあって、本来は大家担当でない記者が大勢やってくる。たかだか数イニング観ただけで、いかにもわかったような顔をして原稿を書く。それが彼には不満なのだろう。モントリオール在住のフリーライター山森恵子さんには心を開き、長期間にわたる取材に応じている(山森さんは大家について書いた本を出版)ことからも、そんな気持ちが見て取れる。

 しかし、残念ながら実際問題として、僕のような名もないフリーライターには、はっきりいって不可能だ。何よりいまだに会社勤めをしていたころの貯金が頼りである(それもアメリカに来てほぼ使い果たしてしまった)。資金面でどうしようもない。かといって、予備知識もなしにマヌケな質問はできない。普段からテレビを見たり、新聞や雑誌を読むなりして、最低限の準備はしておかなければならない(やっているつもりだったが…)。自分の質問にあのような態度をされたのは初めてだったので、当然その時は嫌な気分だったが、今回、改めて下準備という基本を教えられたような気がする。

 あ、でもやっぱり最後にひとこと、いやふたこと言わせてください。

「大家さーん、もっと愛想よくしようよ! フランク・ロビンソン監督、バレット、ホゼ・マシアス…。他の選手たちの周りには笑いがあるよ〜!」

「大家さーん、エクスポズはテレビで見たくても中継がないんだよ〜!」

 緊張、緊張。なぜかって、初めてメジャーリーグのクラブハウスに入れるんですから。日本では認められていないマスコミのクラブハウス立ち入りも、ここアメリカでは自由。選手も僕らの存在を気にすることなく平気で着替えてます。一応、タオルで大事な部分は隠してるんですが、はっきりいって、見えてます(笑)

 初体験のチームはヒューストン・アストロズ。クラブハウスでの選手はリラックスしてます。元MVPの大スター、ガニ股打法のジェフ・バグゥエルもパンをかじりながらうろうろしてました。その姿からはスターのオーラは感じられず、そのへんを歩いているただのおっちゃんと一緒でした。そういう素の部分を見られるのはうれしいんですけど、なんか複雑な気もします…。

 立ち話でしたが、記念すべきメジャー初取材はこれまた元MVPのジェフ・ケント。彼は00年の日米野球で来日しているので、松井秀喜についての印象を聞いてみました。

「彼はいい打者だね。イチローみたく活躍するんじゃないかな。メジャーでも十分やっていけるよ」

 僕の下手な英語にも嫌な顔せず丁寧に答えてくれました。マニー・ラミレス(レッドソックス)のように、マスコミに非難されたことを根に持ち、昨秋以来口もきかない選手もいますが、基本的にメジャーリーガーは取材に応じるのも義務、仕事ととらえているようです。日本のようにインタビューでお金を要求するようなことももちろんありません。在京セ・リーグの某選手にインタビューしたとき、「さっさとやっちゃいましょう」、「ギャラいくら?」などと言われたことがある身としては、ケントの姿勢に大変感激いたしました、ハイ。

 次は本格的に長い時間を取ってもらって、オーランド・マーセド(日本での登録名マルセド、99年オリックスで23試合.225、2本塁打)に話を聞きました。彼もまた非常に丁寧な受け答えをしてくれた上、僕でもわかるよう易しい単語を選び、ときおり日本語を交えながら、なおかつゆっくりと話してくれました。

「日本人はとても親切だし、日本食も日本での生活も楽しめたよ。日本は大好きだ。でも…」

「野球に関してはとてもがっかりした。僕は一軍でプレーしたかったんだ。でも、チャンスがなかった。オオギサンは―」

 と言って、親指を下に向けるしぐさをしました。実際、彼は23試合しか出場のチャンスを与えられていません。二軍に落とされたのも、調子が上がってきたときだったそうです。

 審判に対しても、
「ストライクゾーン、too big! インサイドもアウトサイドもストライク。ナンデ?」
 と、両手で「こんなに外れているのに」とジェスチャー交じりに説明しました。僕が「それは差別だと思います」と言うと、日本語で「ソウデス!」とうなずいていました。

 そんな彼が唯一名前を挙げて「彼はとてもいい人だ」と言っていたのが、当時二軍コーチを務めていた新井宏昌。「紳士だし、とても正直だ」。彼はそれ以上言いませんでしたが、おそらく仰木監督はじめ一軍首脳陣は言っていることと実際やっていることが違ったのだろうと思います。

「日本では誰も助けてくれなかった」

 僕も異国のアメリカで生活していて、文化の違いや差別っぽいことに悩むことがあります。人によっては僕の顔を見て「コイツの言っていることは理解できない。お前が代わりに話してくれ」という人もいますから。実際、代わりに話した人には僕の英語は通じているわけで、明らかにその人が僕と話したくないというのがわかりました。自分ではどうしようもない、どうにもならないことは必ずあります。

「神戸においしいメキシカンレストランがあって、ほとんど毎日そこで食事してたよ」

 寂しくつらい日本での生活で、せめて食事だけでも母国のことを思い出していたのでしょう。その気持ちがわかるだけに、なんともいえない気持ちになりました。

 異国での生活がいかに大変か、チャンスがあるかないか。これがやはり成功するための重要なポイントだと思います。その意味では松井は非常に恵まれているといえるでしょう。専属通訳だけでなく、私生活でも親しい専属広報がつき、さらに巨人時代からよく知った記者たちが大勢日本からやってきているわけで、一人寂しく日本食レストランに行くようなことはないでしょう。彼らと過ごすことでフリータイムもリラックスして過ごせるはずです。さらに高額契約な上に、3年の複数年契約。敏腕代理人のアーン・テレムのことですから出場に関しても何らかの取り決めがあるはずです。チャンスに恵まれないということは考えられません。こういったことからも松井の活躍に関して、少なくとも環境面で妨げになるものは見当たりません。

 最後にマーセドの松井予想をつけ加えておきます。

「マツイ、オーケー。ダイジョーブ。マツイ、40ホームラン」

 異国でのプレーの大変さを知っている彼の言葉だけに、説得力があると思いませんか?

いよいよ

2003年2月28日
 松井秀喜がいきなりやってくれました。初のオープン戦で2打席目に2ラン。「ゴジラがいきなり吠えた!」日本のスポーツ紙の見出しが想像できます(笑)

 僕はいよいよ今からフロリダへ向かいます。現在住んでいるマサチューセッツの気温は最低マイナス15度。寒さに慣れた身には30度も記録するフロリダの暑さは予想もつきません…。

 残念ながら松井の初本塁打は見逃しましたが、じっくりたっぷり松井を観察してきたいと思います。といっても、僕はタイトル通り岩鬼的(日記第1日目参照)な性格なので、松井以外にも狙っている選手がいるんですけどね。それが誰なのかは、この日記で紹介できればと思います。

 フロリダではレンタカーを借りての移動。左ハンドルに右側通行。間違えんようにせな。

それでは、行ってきま〜す。


金儲け

2003年2月26日
 たった数行の記事だった。だが、見逃すわけにはいかなかった。それはメジャーリーグに1ページを割いた「USA TODAY」の片隅に載っていた。

『彼が死ぬ前、彼のサインカードは平均3ドル程度だった。しかし、現在e-bay(米最大のインターネットオークション)は彼の商品であふれ、サインカードは平均20ドル、中には38ドルをつける売り手もいる』

 彼とは2月17日にエフェドリンが含まれたダイエット薬の影響で死亡した、ボルティモア・オリオールズのスティーブ・ベクラーのこと。客観的に考えれば、彼が死んでしまった以上、もう永久にサインを手に入れることは不可能なのだから、値段がつり上がるのはわかる。だが、彼は昨年終盤にようやくメジャー初昇格を果たした無名の存在。不幸さえなければ、熱心なオリオールズファン以外は彼のことを知らない人がほとんどだったはずだ。僕自身、多少なりともメジャーリーグに詳しいつもりでいるが、彼のことは知らなかった。その彼のサインを高額で売ろうとする輩が大勢いる。

 早速e-bayにアクセスしてみると、彼に関する商品は127点。幸いサインカードはパックから出るもの(最近のベースボールカードの流行として、低確率で直筆サインカードが挿入されている。出品者が本人から直接サインをもらったわけではない)ばかりだったので少しホッとしたが、やはり何点かは『今年のオリオールズファンフェスタで直接サインしてもらいました』というサイン入りポストカードなど、本人から直接もらったサインが売りに出されていた。

 一人の若い有望な人間の死が持つ意味は大きい。彼の死をきっかけに、米国マスコミは連日薬物特集を組み、今まで薬物関係には腰が重かったMLBも選手会と話し合いの準備を進めている。エフェドリンはすでにNBAやNCAAで禁止されている。もちろんオリンピックで使用が発覚すれば失格だ。にもかかわらず黙認してきたメジャーリーグの制度が改革されるのなら、彼の死は決して無駄にはならない。

 その一方で、彼の死が金儲けに利用されている。サインとはもともと選手が好意で書いてくれるもの。ファンにとっては、好きな選手がたとえ数秒でも自分のために時間を割いてくれることがうれしいのだ。後に残るサインはもちろん、共有したそのわずかな時間こそが大切な思い出になる。その思い出を売るなど、本当のファンではない。

 彼のサインを「引き当てた」人たちも同じだ。宝くじなみの低確率であるサインカード(サインカードは1袋10枚前後入ったベースボールカード72袋、あるいは124袋買ってようやく1枚当たる程度)を手に入れたとはいえ、それが無名のベクラーのものでは、「何だ、こんなやつ知らねーよ」と喜びは半減したはず(恥ずかしながら、似たような経験があります)。それが、彼の死によって突然お宝に変わり、「ベクラーって誰だ」が一転、出品した今は「これで儲かる。ベクラー様ありがとう」という気持ちなのだろう。

 e-bayには2月1日に墜落したスペースシャトル、コロンビア号の破片も出品されていた(しかも2225ドル、約27万円!!)。このオークションは現時点で入札者16人。出品するほうもするほうなら買おうとするほうもするほうだが、僕にはその気持ちが全く理解できないし、許せない。彼らにとって、人の死は何を意味するのだろうか。

 時を同じくして、ヒューストン・アストロズがコロンビア号をデザインしたパッチを今季1年間、ユニホームにつけることを発表した。亡くなった宇宙飛行士たちを称え、冥福を祈ろうという気持ちからだ。これでアストロズの試合を観るときは、誰もがコロンビア号のことを思い出さずにはいられないだろう。

 人の死には必ず意味があるはずだ。ベクラーやコロンビア号の飛行士たちだけでなく、一般の人たちにも。金儲けに利用するためでは、決してない。

今度はセリフつきで

2003年2月24日
「ハリウッドスターなみのド派手な服装で…」
 新庄剛志がニューヨーク・メッツのキャンプ地、ポートセントルーシー入りしたとき、日本のスポーツ新聞各紙は一斉にこう報じた。

「また服の話か。もっと野球に専念しろよ」
 服装にばかり注目する記事のせいで、心ないファンからはこんな声が聞こえてきそうだが、実はこれは誤った報道。昨年12月20日、新庄は堂々ハリウッドデビューしているのだ。

 記念すべき初出演作はサンドラ・ブロック、ヒュ―・グラント主演のラブ・コメディー『Two Weeks Notice』。ブロック演じる弁護士と依頼人である実業家、グラントによるニューヨークを舞台とした物語で、公開27日間で北米での興行収入が8000万ドル(約94億円)を記録したヒット作だ。映画の中盤、二人がメッツの本拠地、シェイ・スタジアムに野球観戦に出かけるシーンがある。その場面で打席に立っているのが新庄なのだ。

 トレードマークのオレンジのリストバンドに阪神時代からおなじみの、打席で思い切り伸び上がる動作。まさに「新庄らしい」映像が使われている。ここで一度、客席の二人に画面が切り替わるが、その直後、再び新庄の打席に戻る。スイング後に“ギコッ”と傾くこれまた「新庄らしい」打撃を見せるが、結果はボテボテの内野ゴロ(三遊間方向に飛ぶが画面ではそこまで)。ハリウッドデビューをホームランで飾るというわけにはいかなかった。

 ちなみにこの映画はマイク・ピアッツアも出演しており、彼にはセリフもある。キャッチャーフライを追って、たまたま二人の前に来たピアッツアはグラントに何事か叫ぶのだが、僕の英語力では残念ながら聞き取れなかった。

 昨年公開にもかかわらず、新庄がメッツの選手として登場していることを考えると、この映画は一昨年に撮影したものだと思われる。セリフつきのピアッツアは正式に撮影に参加したことは間違いないが、新庄の場合はおそらくシーズン中の映像を使ったもの。本人は撮影には参加していないだろう。とすると、ディレクターのマーク・ローレンスが新庄のキャラクターを買って「抜擢」したのかもしれない。映画界から見ても、新庄の存在はやはり魅力的なのだろう。

 日本未公開、さらにはシーズンオフの公開であること(本人は日本に帰国中)、彼が常々「DVDは字幕つきじゃないと」と話していることからアメリカでわざわざ字幕なしの映画館に出かける可能性は低い。もしかすると新庄自身「ハリウッドデビュー」を知らないのではないか。知っていれば本人も喜ぶだろうし、日本のマスコミも騒ぐはず(現に横浜ベイスターズの新外国人スティーブ・コックスが来日した際は『オールド・ルーキー』(アメリカでは『The Rookie』)に出演したといって騒いでいた。新庄は彼よりスクリーン占領時間は長い)。余計なおせっかいかもしれないが、そんな心配をしてしまった。

 アート・ハウ監督が「センターは(ロジャー・)セデーニョ」と公言し、ノックでも控え組にまわされるなど、現時点では苦境に立たされている新庄。だが、二年前のメジャー挑戦時はレギュラーどころか開幕ベンチ入りすら危ぶまれていた。「初球から打ってはいけない」など制約の多い一番打者をやらされ、自分のリズムを崩した昨年とは違い、今季は勝手知ったるメッツでのびのびできることを考えると、本来の「新庄らしさ」が出せるはずだ。愛するニューヨークでの生活、今季から派手なオレンジ色に変わったメッツのバッティング・プラクティス用ジャージも、なぜか新庄を後押ししてくれるような気がする。映画では打ちそこなったシェイ・スタジアムでの本塁打も数多く見せてくれるに違いない。

「今度はセリフつきで、ね」

 新庄はきっとこう答えるだろう。ただメッツのレギュラーを奪うだけが新庄ではない。ハリウッドスターを本気で狙うのが「新庄らしさ」なのだ。もう「ハリウッドスターなみの」とは言わせない。

「神様」の誕生日

2003年2月22日
 あまりにもできすぎた話だと思った。2月17日が祝日だからである。しかも、名称は「大統領の日」。これ以上ないというぐらいぴったりのネーミングだ。最近できたばかりの祝日ではないのかと、思わず調べてしまった(初代大統領ジョージ・ワシントンと16代大統領アブラハム・リンカーンの生誕を称えた日で、正確には2月第3月曜日)。

 なぜこんなことを言うのかというと、2月17日がある人物、いや「神様」の誕生日だからである。「大統領の日」ではあるが、おそらくほとんどのアメリカ人が大統領以上の存在、「神様」の誕生日のほうを祝ったに違いない。

「神様」の名前はマイケル・ジョーダン―――。

 スポーツ専門のケーブルテレビ局、ESPNが40歳を記念して「マイケル・ジョーダンTOP40」と題した名場面集を放送した。40もの好プレーを簡単に集められることですら大変なものだと思うが、その内容はまだNBA歴の短い僕にとって、まさに驚愕モノだった。

 ジャンプしてシュートの態勢に入った後、相手をかわすために空中でボールを右手から左手に持ち替えてゴールした場面。ゴールを決め、相手に攻撃権が移った直後の最初のパスをふりむきざまスチールした場面。三人がかりでディフェンスに来た相手を飛び越え、シングルハンドでダンクを決めた場面……。当たり前だが、ここ4ヵ月で20試合ほど生観戦したNBAの試合中には、「神様」の見せたような「神業」には一度もお目にかかれなかった。

「神様」はすでに今季限りでの引退を発表している。2月1日のニューオーリンズ・ホーネッツ戦で見せた45ポイントの大爆発(その後2月21日のニュージャージー・ネッツ戦でも43ポイント)、若い頃苦手にしていた(1〜4年目は成功率すべて1割台)3ポイントシュートの充実ぶり(今季は.324)を見る限り、素人目にはまだまだやれるように映る。自己最低とはいえ、平均18.6ポイント(2月17日現在)も恥ずかしくはない数字だ。ユタ・ジャズのジョン・ストックトン、カール・マローンの同年代の二人がいまだにチームの中心となって活躍していることも、「やめないで」という気持ちを大きくさせる。

 そうはいっても、彼は「神様」なのだ。並の選手であれば納得できる数字でも、本人が満足しないだろうし、ファンも納得しない。さらに、プライドの問題もある。だが、それだけではない。最近の「神様」を見ていて決定的に欠けつつあるものがある。ここ数日間だけで、二度もそれが表れた。

 ひとつは、オールスターでヒーローになり損ねたことだ。試合終了間際、延長(1回目)残り4.8秒の同点の場面で、右サイドの難しい角度から決めたシュートはさすが「神様」と思わせた。ところが、その直後、ジャーメイン・オニール(インディアナポリス・ペイサーズ)がまさかのファールを犯す。フリースローを放ったコービー・ブライアント(ロサンゼルス・レイカーズ)が2ショット目を外したにもかかわらず、3ショットを与える大ミスだったことで試合は振り出しに戻ってしまった。これまでの「神様」ならすんなり試合が終わり、スタンディング・オベーションを浴びながらインタビューを受けていただろう。

 そしてもうひとつが今日、2月17日の大雪だ。ホームであるワシントンDCのある東海岸はテレビのニュースで「ブリザード(猛吹雪)」と報道されるほどの悪天候。交通機関は軒並みストップし、予定されていたトロント・ラプターズ戦は中止。オールスターで先発を譲ったビンス・カーターとの直接対決を制し、現役として最後に迎える誕生日をホームでの勝利で祝うという青写真は、文字通りブリザードによって吹き飛ばされてしまった。

「神様」が失いつつあるもの。それは「神通力」だ。かつて「神様」の手にかかれば不可能なことはなかった。「神様」の手にはボールが吸い寄せられ、「神様」の放ったシュートはゴールに吸い寄せられた。残り時間が「0」を示しても、「神様」のシュートは時間を止めるかのようにリングをくぐっていった。「神様」にはいつも栄光があった。しかし―――。

 昨年末、『USA TODAY』紙の記事に載っていた少年の談話が忘れられない。
「ジョーダン? 僕にはホアン・ディクソン(地元メリーランド大から今季入団したルーキー)のほうがいい選手に見えるよ」

「神様が生まれた日」は「神様の力の衰えを実感させられた日」になった。

「神様」も「神様」でいつづけることはできないのだろうか。

岩鬼的とは?

2003年2月20日
「なんなんだ、このタイトルは?」

 日記のタイトルを見て、そう思われた方も多いでしょう。決してふざけているわけではありません。大まじめです。

 今、アメリカでは漢字が大人気です。NBA選手を筆頭に、こちらではほとんどの若者がタトゥーを入れていますが、その多くが漢字をデザインしたもの。たいていは漢字なら何でもいいようで、意味もなく「仰 武 信」などと漢字を並べて喜んでいます。そんな中、今までで一番ウケたのが、高校バスケットを観に行ったときに発見した「弱肉強食」。右腕にデカデカと太字で彫られていました。確かにスポーツの世界は弱肉強食だけど…。思わず、「お前意味わかっとんのか!」とツッコミを入れずにはいられませんでした(ただし、日本語でですけど)。

 そんな漢字好きの!? アメリカ人のために日本から持参した「とっておき」こそ、「男岩鬼」の文字が入った黒のTシャツ。これさえ着ていればオレも人気者間違いなし! 金髪ギャルが興味を示してくれるかも、なーんて希望(妄想?)を抱いていたのですが…。

 興味を持ってくれたのは、日本人でした。「そんなんどこで売っとんの」、「私も欲しい〜」などなど。お互いの名前も知らないうちに「岩鬼」の話題で盛り上がり、「田尻」より「岩鬼」のほうが先行。いつしか僕のあだ名は「イワキ」に…。中には背中の「IWAKI」の文字を見て、「イワキさんって言うんですか」って真顔で聞いてくる人まで…。ま、岩鬼ファンだからいいんですけどね。

 いまさら説明もいらないとは思いますが、「岩鬼」とはもちろんドカベンの岩鬼正美のこと。作者の水島新司曰く、「岩鬼がいなかったらドカベンの連載は却下されてた」。いわば第二の主役、スターです。その大スターは相当なひねくれ者。ど真ん中を空振りして悪球を本塁打にするばかりか、好物のさんまを「まずい、まずい」と言いながら骨まで食べてみたり、主人公・山田太郎の妹、サチコを心の中で思っているのとは反対に「どブスチビ」と呼んでみたり…。要するに、素直じゃないんです。

 そんな岩鬼に親近感を持ってしまうのは、僕が同じくひねくれ者、いや、変わり者だからでしょうか。自分では普通と思っていますが、人からはよく「変わってる」と言われます。これはたぶん、僕が人と同じことを嫌うからでしょう。みんなが「右」と言えば、間違いなのがわかっていても「左」と言ってしまいますから(笑)

「岩鬼的」なひねくれた? 視点からスポーツについて、感じたこと、観たこと、もちろん取材時にはその感想なども入れていきたいと思います。とりあえずはここ4ヵ月のアメリカ生活を思い出しながら書いていくつもりですが、今月末からはメジャーのスプリングトレーニングに行きますので、「生・松井秀喜」情報なども報告できたら、と思っています。

 ご意見、ご感想、ご要望大歓迎。よろしくお願いします。

ビッグ・カップル

2001年1月1日

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