日大三・小沢慎太郎

2003年8月14日
「マジかよ」
 打った瞬間、そう思った。打球は浜風にも乗ってレフトスタンドへ。夢にまで見た甲子園での一発だった。

 日大三・小沢慎太郎君の背番号は「9」。だが、西東京大会では先発・右翼の座はほとんど後輩の高木智也君に奪われた。6試合でわずか9打席。役割はもっぱら後半の守備固めだった。

 新チーム結成後はクリーンアップも期待されていた。だが、左足を疲労骨折。休んでいる間に後輩が力をつけていくのがもどかしかった。足が治り復帰しても、なかなか結果が出ない。監督、コーチから「ダメだ」と言われ続けてきた。心ないスタンドからは1ケタの背番号が泣いていると陰口も叩かれた。

 だが、小沢君はあきらめなかった。大会中も起床時間前に起きて打撃練習。最低限、左投手が相手のときはいつでもいける準備をしてきた。西東京大会準決勝の相手・堀越のエースは左。ようやく自分の出番が来た、そう思った。スタメン発表を待つ。呼ばれたのは後輩の名前だった。

 甲子園出場を決め、相手が平安に決まる。エースは評判の左腕だと知った。「今度こそ」と今まで以上にスイングに力が入った。

「7番 レフト 小沢君」

 甲子園で自分の名前がアナウンスされた。気持ちよかった。右翼の守備位置で感じる芝生の感触も最高だった。2打席目で左前に安打。これで気が楽になった。

 0−8と大差のついた7回。3回目の打席が回ってきた。これが高校最後の打席になるかもしれないと思った。

 1球空振りした後の2球目。思い切り振った。そして、とらえた。第1試合ということもあり、観衆は1万6000人。それでも、甲子園のダイヤモンドを1周するのがこんなにも気持ちがいいものだとは思わなかった。

 試合後、今まで「ダメだ」とばかり言われていたコーチに「よく打ったな。お前の頑張りだよ」と言ってもらった。腐らずやってきたかいがあったと思った。

 その夜、宿舎に小沢君を訪ねた。試合直後に「お母さんにあげたい」と言っていたホームランボールを見せてくれと頼むと、「まだもらってないんですよ。誰かにパクられることってないですよね」とちょっと心配そうにしていた。

 丸顔にいつも笑顔を浮かべて、ちょっと頼りなさそうな小沢君。そんな彼が打ったホームラン。本当は頼れるヤツだったんだね。ホームランを誇りに、これからはもっと自信を持って生きていってください。野球やめるなんて言わないでね。またグランドで会えることを楽しみにしています。

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