松井は活躍するか?
2003年3月2日 緊張、緊張。なぜかって、初めてメジャーリーグのクラブハウスに入れるんですから。日本では認められていないマスコミのクラブハウス立ち入りも、ここアメリカでは自由。選手も僕らの存在を気にすることなく平気で着替えてます。一応、タオルで大事な部分は隠してるんですが、はっきりいって、見えてます(笑)
初体験のチームはヒューストン・アストロズ。クラブハウスでの選手はリラックスしてます。元MVPの大スター、ガニ股打法のジェフ・バグゥエルもパンをかじりながらうろうろしてました。その姿からはスターのオーラは感じられず、そのへんを歩いているただのおっちゃんと一緒でした。そういう素の部分を見られるのはうれしいんですけど、なんか複雑な気もします…。
立ち話でしたが、記念すべきメジャー初取材はこれまた元MVPのジェフ・ケント。彼は00年の日米野球で来日しているので、松井秀喜についての印象を聞いてみました。
「彼はいい打者だね。イチローみたく活躍するんじゃないかな。メジャーでも十分やっていけるよ」
僕の下手な英語にも嫌な顔せず丁寧に答えてくれました。マニー・ラミレス(レッドソックス)のように、マスコミに非難されたことを根に持ち、昨秋以来口もきかない選手もいますが、基本的にメジャーリーガーは取材に応じるのも義務、仕事ととらえているようです。日本のようにインタビューでお金を要求するようなことももちろんありません。在京セ・リーグの某選手にインタビューしたとき、「さっさとやっちゃいましょう」、「ギャラいくら?」などと言われたことがある身としては、ケントの姿勢に大変感激いたしました、ハイ。
次は本格的に長い時間を取ってもらって、オーランド・マーセド(日本での登録名マルセド、99年オリックスで23試合.225、2本塁打)に話を聞きました。彼もまた非常に丁寧な受け答えをしてくれた上、僕でもわかるよう易しい単語を選び、ときおり日本語を交えながら、なおかつゆっくりと話してくれました。
「日本人はとても親切だし、日本食も日本での生活も楽しめたよ。日本は大好きだ。でも…」
「野球に関してはとてもがっかりした。僕は一軍でプレーしたかったんだ。でも、チャンスがなかった。オオギサンは―」
と言って、親指を下に向けるしぐさをしました。実際、彼は23試合しか出場のチャンスを与えられていません。二軍に落とされたのも、調子が上がってきたときだったそうです。
審判に対しても、
「ストライクゾーン、too big! インサイドもアウトサイドもストライク。ナンデ?」
と、両手で「こんなに外れているのに」とジェスチャー交じりに説明しました。僕が「それは差別だと思います」と言うと、日本語で「ソウデス!」とうなずいていました。
そんな彼が唯一名前を挙げて「彼はとてもいい人だ」と言っていたのが、当時二軍コーチを務めていた新井宏昌。「紳士だし、とても正直だ」。彼はそれ以上言いませんでしたが、おそらく仰木監督はじめ一軍首脳陣は言っていることと実際やっていることが違ったのだろうと思います。
「日本では誰も助けてくれなかった」
僕も異国のアメリカで生活していて、文化の違いや差別っぽいことに悩むことがあります。人によっては僕の顔を見て「コイツの言っていることは理解できない。お前が代わりに話してくれ」という人もいますから。実際、代わりに話した人には僕の英語は通じているわけで、明らかにその人が僕と話したくないというのがわかりました。自分ではどうしようもない、どうにもならないことは必ずあります。
「神戸においしいメキシカンレストランがあって、ほとんど毎日そこで食事してたよ」
寂しくつらい日本での生活で、せめて食事だけでも母国のことを思い出していたのでしょう。その気持ちがわかるだけに、なんともいえない気持ちになりました。
異国での生活がいかに大変か、チャンスがあるかないか。これがやはり成功するための重要なポイントだと思います。その意味では松井は非常に恵まれているといえるでしょう。専属通訳だけでなく、私生活でも親しい専属広報がつき、さらに巨人時代からよく知った記者たちが大勢日本からやってきているわけで、一人寂しく日本食レストランに行くようなことはないでしょう。彼らと過ごすことでフリータイムもリラックスして過ごせるはずです。さらに高額契約な上に、3年の複数年契約。敏腕代理人のアーン・テレムのことですから出場に関しても何らかの取り決めがあるはずです。チャンスに恵まれないということは考えられません。こういったことからも松井の活躍に関して、少なくとも環境面で妨げになるものは見当たりません。
最後にマーセドの松井予想をつけ加えておきます。
「マツイ、オーケー。ダイジョーブ。マツイ、40ホームラン」
異国でのプレーの大変さを知っている彼の言葉だけに、説得力があると思いませんか?
初体験のチームはヒューストン・アストロズ。クラブハウスでの選手はリラックスしてます。元MVPの大スター、ガニ股打法のジェフ・バグゥエルもパンをかじりながらうろうろしてました。その姿からはスターのオーラは感じられず、そのへんを歩いているただのおっちゃんと一緒でした。そういう素の部分を見られるのはうれしいんですけど、なんか複雑な気もします…。
立ち話でしたが、記念すべきメジャー初取材はこれまた元MVPのジェフ・ケント。彼は00年の日米野球で来日しているので、松井秀喜についての印象を聞いてみました。
「彼はいい打者だね。イチローみたく活躍するんじゃないかな。メジャーでも十分やっていけるよ」
僕の下手な英語にも嫌な顔せず丁寧に答えてくれました。マニー・ラミレス(レッドソックス)のように、マスコミに非難されたことを根に持ち、昨秋以来口もきかない選手もいますが、基本的にメジャーリーガーは取材に応じるのも義務、仕事ととらえているようです。日本のようにインタビューでお金を要求するようなことももちろんありません。在京セ・リーグの某選手にインタビューしたとき、「さっさとやっちゃいましょう」、「ギャラいくら?」などと言われたことがある身としては、ケントの姿勢に大変感激いたしました、ハイ。
次は本格的に長い時間を取ってもらって、オーランド・マーセド(日本での登録名マルセド、99年オリックスで23試合.225、2本塁打)に話を聞きました。彼もまた非常に丁寧な受け答えをしてくれた上、僕でもわかるよう易しい単語を選び、ときおり日本語を交えながら、なおかつゆっくりと話してくれました。
「日本人はとても親切だし、日本食も日本での生活も楽しめたよ。日本は大好きだ。でも…」
「野球に関してはとてもがっかりした。僕は一軍でプレーしたかったんだ。でも、チャンスがなかった。オオギサンは―」
と言って、親指を下に向けるしぐさをしました。実際、彼は23試合しか出場のチャンスを与えられていません。二軍に落とされたのも、調子が上がってきたときだったそうです。
審判に対しても、
「ストライクゾーン、too big! インサイドもアウトサイドもストライク。ナンデ?」
と、両手で「こんなに外れているのに」とジェスチャー交じりに説明しました。僕が「それは差別だと思います」と言うと、日本語で「ソウデス!」とうなずいていました。
そんな彼が唯一名前を挙げて「彼はとてもいい人だ」と言っていたのが、当時二軍コーチを務めていた新井宏昌。「紳士だし、とても正直だ」。彼はそれ以上言いませんでしたが、おそらく仰木監督はじめ一軍首脳陣は言っていることと実際やっていることが違ったのだろうと思います。
「日本では誰も助けてくれなかった」
僕も異国のアメリカで生活していて、文化の違いや差別っぽいことに悩むことがあります。人によっては僕の顔を見て「コイツの言っていることは理解できない。お前が代わりに話してくれ」という人もいますから。実際、代わりに話した人には僕の英語は通じているわけで、明らかにその人が僕と話したくないというのがわかりました。自分ではどうしようもない、どうにもならないことは必ずあります。
「神戸においしいメキシカンレストランがあって、ほとんど毎日そこで食事してたよ」
寂しくつらい日本での生活で、せめて食事だけでも母国のことを思い出していたのでしょう。その気持ちがわかるだけに、なんともいえない気持ちになりました。
異国での生活がいかに大変か、チャンスがあるかないか。これがやはり成功するための重要なポイントだと思います。その意味では松井は非常に恵まれているといえるでしょう。専属通訳だけでなく、私生活でも親しい専属広報がつき、さらに巨人時代からよく知った記者たちが大勢日本からやってきているわけで、一人寂しく日本食レストランに行くようなことはないでしょう。彼らと過ごすことでフリータイムもリラックスして過ごせるはずです。さらに高額契約な上に、3年の複数年契約。敏腕代理人のアーン・テレムのことですから出場に関しても何らかの取り決めがあるはずです。チャンスに恵まれないということは考えられません。こういったことからも松井の活躍に関して、少なくとも環境面で妨げになるものは見当たりません。
最後にマーセドの松井予想をつけ加えておきます。
「マツイ、オーケー。ダイジョーブ。マツイ、40ホームラン」
異国でのプレーの大変さを知っている彼の言葉だけに、説得力があると思いませんか?
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